フリーランス
小林 さやかさん (1/5)
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人を笑顔にさせるサービ業への想いと、大切にしたい家族への想い

ふたつがマッチングする仕事はこれしかないと志したウエディングプランナー

ウエディングプランナーになったきっかけ

私の人生の中には、ふたりの恩師がいます。
ひとりは、「ビリギャル」を書いた塾講師の坪田先生。もうひとりは、学生時代アルバイトをしていた居酒屋の店長。このふたりとの出会いが大きなきっかけになりました。

坪田先生は、本や映画でご存知の方も多いと思いますが、私を慶應義塾大学に導いてくれた塾の先生。高校時代私は先生から「君は本当に人のことが大好きだから、とにかくいろんな人に出会っておいで。ご縁を大切にして」と言われていて。それがずっと頭の中にあって、いろんな人と出会いたい、そして先生のように人の未来のために頑張る人になりたい、という想いに繋がっていきました。

そしてもう一人は、学生時代2年半もの間アルバイトをしていた居酒屋の店長で、実は今の主人でもあるんです。その居酒屋は、2時間並んででも入りたいというお客様が毎日いるようなお店でした。メニューが変わるわけでもないのに昨日も来ていた人が今日も来ていたり、たまたま隣に座ったお客さま同士で仲良くなって飲んでいたり。スタッフも一度来たお客様の名前は必ず憶えていて、誰が来ても「あ、〇〇さんいらっしゃーい」って友達みたいな感じで、お客様はそれが嬉しくて毎日来ちゃう、みたいな。

特に店長は、いらしたお客様を絶対に笑顔でお迎えしたいと、5秒に1回は入口に目をやるというようなことをしていて、料理もめちゃくちゃ美味しくて、来るとみんな感動していく。そんなところで働いていた経験がすごく大きくて、「人を笑顔にさせるサービスマンになりたい」、という想いに繋がっていったんです。

そのことから、人にたくさん出会える仕事がしたい、そしてバイト先の居酒屋のように、あれだけ人を笑顔にさせるサービスがしたい、と思い、サービス業の最高峰だと思うウエディングプランナーになろう、と決めたんです。

なぜ、数あるサービス業の中でウエディングプランナーだったのか。
もう一つの理由が「家族」への思いでした。

かつて私の家族はいろいろと複雑で、何でこんな家に生まれたんだろうと思ったこともありましたが、大学受験を通して関係性が変わり、家族が更生していく、というのを体験したんですね。さらに弟が結婚し、子供が産まれたこともあって、家族ってすごいな、大切にしたいなと思う気持ちが強くなったんです。目指したいサービス業と家族、ふたつを結びつける仕事って、お葬式と結婚式しかないなと。そう考えたときに、「家族の始まり」である結婚式の仕事を目指そうと思い、ウエディングプランナーになりました。

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